本稿は、「でぶあん不徹底入門 2001夏号」に収録された原稿を Web 用に再編集したものです。
morimoto@mrmt.net
現実社会に生きるハッカーが抱えるせつなさに対するシトローエンの「癒し」機能性について考察を行う。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角此の世は住み難い。
この小冊子をお読みのかたは、なんらかのhack mindを心に秘めた、あるいは丸出しにして会社や家族や町内でアレゲな状況を招いている人々だと思われる。これら「内なる衝動」をお持ちの向きを仮に「ハッカー」と定義するならば、今日のハッカーは、皆やるせない「せつなさ」を抱えている。 上記の一節はとある有名な小説からの抜粋であるが、この卓見に思わずうなずかれる方も多いのではないだろうか。われわれは一社会人として、会社や任務や家族との接点において、秘めた思いと現実との調整に関する、何らかの鬩ぎ合いを日々送っている。せつなさはここから生まれるのである。
あらゆる現実のムーブメントは、何らかの成功を目指して行われる。一般の「カイシャ」は商業組織であるので、その成功の重点は商業的成功に置かれる。しかもこのせちがらい世の中、それはしばしば中期的から短期的成功を意味することが多い。これを短く表現するとこうなる「すぐ売れるやつを作れ」。
技術者は、そのスキル習得の過程において、「いいもの」と「売れるもの」は時に異なることを知っている。この両者の幸福な結婚こそが良いプロダクトなのであるが、悲しいかな現実にそうした事例はむしろ稀である。マーケティング先行によるせつなさを例証してみよう。
商品のよいデザイン、カッコイイ外見は重要であって、心の落ち着きをもたらすし、「買っちゃったぜいーだろーヘヘヘー」はこれなしには満たされない。 しかし、さらにこれを支えるのが、実際に使い込んでみての操作性、使い心地であって、ユーザの側に立った正しい技術の行使によってそれはもたらされる。
しかし実際は、プロジェクトのリソースは店頭での受け、音、色、広告のbuzzword、脇に立っている説明員のねえちゃんの人件費ばかりに力が注がれて、実際に購入してみると使いにくい、電池持たない、カッコばっか、要するに使えない製品でこの世はあふれている。 一夜限りの恋ならよい。しかし、いざ生活を一緒に営なまんとするものがこれではせつないのである。
「今回の機能追加は○○対応だけだからバージョン2.0から2.1にするだけだって? アホか。そんなもん誰も見向きもしないだろ。お前はマーケティングがわかってない。こういうときは××××バージョン2001スペシャル限定版ウルトラリミックス・バージョン8.0とかにするの。内容なんかどうでもいいからニューバージョンをばんばん出すのが勝ちなんだよ。もういい、おれがやっとく」
このような商品であっても、これを世に送り出すについては技術者の献身がある。しかし、これらは彼らの技術的良心の発露ではない。むしろ消費者を愚弄する方向の行為である。大宅壮一の言葉を借りるまでもなく、「一億総白痴化」の片棒をかつぐ行為なのである。
前向きな提案が潰され、良心的な試みが評価されず、こうして白痴化の方向へ加担せざるを得なくなったとき、技術者の良心は傷つき、癒しを求める。
ハッカーの行動原理はinteresting、つまり「興味ぶかい」さらにいえば「オモシロイ」である。こんなことをサックリできたら面白いじゃん。うひひこんなのを実装してるやつがいるぜおれもいじってみよう。 しかし現実の商業組織において、長期的なメリットを理解してハッカーにこのようなトライアルの場であるplaypenを与えているところは少ない。哺乳類に空気が、魚に水が必要なように、絶えなき知的好奇心こそがハッカーの生きる源なのである。これを束縛されたpoor soulたちは、癒しを求める。
とあるフランスの自動車メーカーである。本社はパリのど真中にあるので、フレンチのボン・サンスなウィットがワインとボンジュールでシャンゼリゼな方々へのヒキも強いようであるが、本稿ではそのへんに興味はないので、別にパリでもボリビアでも葛飾でもどこでもよい。
なお国内ではシトロエンという表記が一般的であるが、本稿ではシトローエンと記述される。これは「スローハンドの神様はエリック・クラプトンじゃねえ! 俺の心のなかではエリック・クランプトンなんだぁあ!」的なことなので、これまたどうでもよい。
このメーカーの特徴を、特に本稿の内容に際して簡単に挙げると、
などがある。
1913年に創業者アンドレ・シトローエンがクサビ型歯車の販売権を押えてのしあがり、1919年に米国フォード社にインスパイアされて自動車の大量生産を開始したことから始まる。ここだけ聞くと別に新味はないように聞こえるが、それまで欧州では自動車というものは職人が個別注文に対し個別に設計、一台ずつ製造を行うものであり、ヨーロッパにおける自動車の大量生産 -> 安価大衆化はここから始まっている。
なお、ドイツでもアダム・オペルがこれに追随して起業したが、その製品はシトローエンをビス一本に至るまでデッドコピーしたもので、国境を越えた特許制度が未整備であった当時ならでは、今でいえば、秋葉原中央通り交差点日通脇の路地裏でこのCD-R買えばウインドウズもオフィスもフォトショップも全部入ってて大変お徳アルヨお客さん的なムーブメントであったと言えよう。
このままおとなしく順当にやっていればフツーの自動車メーカーだったのだが、何を考えたか1934年、シトローエンはモノコック・ボディの、なんと前輪駆動モデルを世に問う。 いまでこそ前輪駆動は街を走るクルマのほとんどに採用されているアーキテクチャだが、当時は未知の無謀の変態の前人未踏な設計であって、確かにその性能と安定性は大変高く、「逃げる銀行強盗と、それを追う警察」に使われたほど人口に膾炙した製品となったが、この膨大な開発費に圧迫され、創業者シトローエンは病死、同社は第一回倒産の危機に見舞われる。このときはタイヤメーカーのミシュランが最大株主となり、現金注入を行ったのでなんとか生き残れた。ダメメーカーのはじまりである。
このモデルはトラクシオン・アバン(Traction Avant, 前輪駆動)と愛称され、後にトラクシオンとだけ呼ばれるようになった。当時他にFF車はなかったので、「前輪駆動」でこれを指すなら良いのだが、トラクシオン(摩擦・牽引力)って言えばこいつに決まってんじゃん、というのは、他メーカーの車も、碓氷峠のEF63電気機関車の立場もあったものではない。
第二次大戦で疲弊した戦後フランスに、ブリキの缶詰2CVがデビューする。これは究極にカンタンな作りのクルマを作ってみようぜというアイディアから出たもので、胴体はペコペコ、屋根は布一枚、ワイパーはそんなもん手で動かしてね、ガソリンの残りはタンクに計量用のヒモが吊ってあるからそれを垂らしてくれ、速度計? そんなもんいらんだろ。というもので、実際、発表会場に招かれたフランス大統領が「何これ…」と困った顔をしている写真が残っている。 ともあれ、実際は農民層から知識層まで万人に受け、映画やアニメやファンシーグッズともなり、1989年までの永きにわたり生産され、世界中で愛される成功作となった。まさに、銀塩カメラにおける「写るんです」の出現に近いイベントであり、UNIXにおける標準エディタedのような存在である。
これ、実は戦前から開発研究が進められてきたのだが、パリまで迫ったドイツ軍を前にして、連中に接収されちゃうならばと100台あった試作車を1台だけ残して他を全部破壊、その生き残りの1台がいまだパリに展示されている。という定番の話がある。ところが先日、工場を改築しようとして壁を壊したら奥の部屋からなんだまだ3台出てきたじゃん、という、このへんの管理もダメである。
デビューからすでに20年を経過したトラクシオンが走り回るパリでは、こんどシトローエンからなにか飛んでもないシロモノが出てくるらしいという噂が持ちきりだった。これが1956年にデビューしたDSである。 現在まで脈々と続くシトローエン独自アーキテクチャの目玉であるハイドロ・ニューマチック(Hydro Pneumatic)の最初の実装で、その筋の会話でHPといえばRPGでも逆ポーランド電卓でもweb pageでもなくこれのことだ。 以降いちいち各モデルを説明するのも徒に読者の時間を奪うばかりなので、DSを基本としつつ「ハイドロ・シトローエン」についてさらってしまおう。
発想の根幹は「なんでもあらゆるひとつの油圧回路でやっちまえ」である。エンジンで油圧ポンプを回して高圧オイルを圧力槽(アキュムレータ)にため、それを各車輪のサスペンションにまわす。
車輪にはスフィア、俗称「タマ」という球がついていて、中身はゴムで仕切られた上半分窒素、下半分オイル回路のスプールとなっており、これが緩衝装置、普通の車でいうところのスプリングとダンパーになって、ボイル・シャルルからの素敵な贈り物、PV = nRTのもたらす恩寵によって、乗り心地は雲の上のごとく、段差もまったりと乗り越える。いわゆるエアサスの一種でもある。
またそれは車高可変ももたらす。運転席から油量を調整することで車高の上げ下げも自由自在、障害物あらば車高を上げてあらよっとまたげばいいし、車高を最低に「お座り」させれば、NOCにsgi 1400Lを搬入などでかい荷物の積み下ろしも容易である。
そして姿勢制御。油圧回路中央部にハイト・コレクターという複雑なフィードバック制御弁があり、これが前後の車高を自動的に水平に保つ。トランクにSun Enterprise 3000を積みこんでも、数秒後に後輪に自動的に補償する追加油圧がかかるので、クルマはもこもこっと水平に戻る。そのあと助手席にデブがずしんと乗ってきても、また数秒後に平衡状態に移行する。 ちなみにフィードバック応答が素早くて「ビシッ」と姿勢制御が効いてしまったら、ラックマウントUPSを後ろに積み込んだとたん、共振が起きて、がくんがくん、ガタガタ、ガガガガガバキメリグシャポキとあなたの目の前でシトローエンは分解してしまうだろう。
そして他にも油圧回路は使われる。これは筆者の独断なのだが、いまでならマイクロプロセッサを積んじゃえばカンタンに実装できる機能や回路の類も、当時はIBM 360がスゲーとか、指令室に紙テープが出て怪獣出現とか、その程度の時代だったため、彼らとしては勝手知ったる油圧回路でなんでもやったれ、ということだったのではないかと思われる。もし組み込みマイクロコンピュータの発達が遅れていたら、彼らはひたすら油圧技術で間違った進化を遂げ、いまのシトローエン車には油圧オートエアコンや油圧カーナビ、油圧mp3プレイヤー(IDタグ表示対応)などが実装されていたのではないだろうか。実際の油圧アレゲメカ実装例については追って解説を行う。
なお、例によってDSの時も、その莫大な開発費によって同社は倒産しかける。 今回陰で動いたのはかのド・ゴール大統領で、秘密軍事組織Organisation Armee Secrete (OAS)によるかの有名な暗殺事件、120km/hで高速走行中に左右後方からテロリストの銃弾の雨を浴びつつも、安定性を失わず回避離脱が可能であったDSの高速機動性能と安全性(タイヤの1個ぐらい取れてもフィードバック制御でへっちゃら)に、この稀代の頑固親父、一兵卒からエリゼ宮の主にまで叩き上げた歴戦の勇士が深く感銘を受けたためと言われている。このあたりはフレデリック・フォーサイス著「ジャッカルの日」に詳しいので参照されたい。筆者もこの伝説の一片に触れたいと、高速飛ばしてるときに後輪とかパンクしてバーストしてくれないかなぁと常々思っているのだが、それはさておき、こうしてちょっと顰蹙ものぐらいの援護実弾注入が、国家予算を割いて、このダメメーカーに行なわれたらしい。
DSは約20年生産され、次のモデルCXの時に、またR&Dに金を使い過ぎて死にかけ、そして今度は当時のライバルであったプジョーに吸収され、独立メーカーとしての命はここで尽きることとなった。 その後はさすがに居候の身分、ツッパリエンジニアリングやビックリドッキリメカはおとなしくなったものの、それでもそれなりにplaypenを用意してくれているP社には、大いに感謝すべきだろう。
40年前の当時は、ハイドロ・ニューマチックは最新最高至高のシステムであり、追従者も多く現れた。 シトローエンの特許を買ってもろに採用したのがダイムラー・ベンツ社とロールス・ロイス社で、彼らはその最高グレードの、さらにその上の特注版としてハイドロ仕様を用意した。が、それらは当然産油国の王侯貴族の類にしか与えられず、一般市民にとっては単なるおとぎ話でしかなかった。
一方そのころ本家シトローエンはハイドロ・ニューマチックを採用した小型乗用車GSを出し、車高調整も姿勢制御ももちろん、さらには4輪にはディスクブレーキ、おまけにロータリーエンジンの限定版まで用意して、小さいのに中は広く、これを例えばカローラよりもずっと安いという価格設定にして、既存商業概念へのプロレタリアート攻撃を行っている。技術者の良心の爆発と見ることができるが、当然、この持ってけドロボー車種の発売により、経営はさらに悪化している(わら
ドーバー海峡を渡ったイギリスでは、ミニの設計者サー・アレック・イシゴニスたちが多大な影響を受け、しかし仕掛けをもっと簡素にして、安価かつ堅牢な路線をねらった。数多い(いわゆる)ミニの兄弟たちヴァンデン・プラ・プリンセスをはじめとし、いまのMGFに至るハイドラスティック、ハイドラガスの系譜である。
もちろん油圧なんてヤヤコシイものを使わず電子機器で構成したほうが安価安全安定と考えるのはどこも一緒で(まぁ、しかし、それはつまらん人生だな)、そりゃソフトで実現すりゃバグ出してもROM差し替えりゃ一発だもんな。特にバブル期の日本では、インフィニティQ45アクティブサス仕様、セリカ・アクティブスポーツ(注1)など数多くの能動型姿勢制御機構が現れ、Σ計画の失敗と共に消えていったと見られる。
というわけで、自動車に網の目のように「血管」つまり油圧配管を張りめぐらさねばならなかった当時のハイドロ・ニューマチックは、得られるメリットと引換のデメリット、つまり低い信頼性、低いメンテナンス性、アレゲさなどによりエピゴーネンを失い、いまではシトローエン一社のみにより細々と設計製造されている。
なお、「ハイドロ仕様」というと、渋谷キラー通りや横浜ベイブリッジの大黒パーキングあたりをドロドロ、ドンドコいいつつ這い回るホンダ・レジェンド・クーペやシボレー・アストロの改造車を指すこともあるが、あれはあれでまたちょっと違う世界なので注意されたい。
ある意味日本は世界でもっとも強烈にハイドロ・ニューマチックを用いている国家である。世界で唯一ハイドロ・ニューマチックを採用している戦車、それが陸上自衛隊74式戦車、そしてその後継90式戦車であり、三菱重工業がシトローエンからライセンスを取得し設計製造されている。
戦車の場合は乗り心地はたぶんまぁ割とどうでもよくて、そのかわり、車高を下げて伏せ敵の攻撃を避け発見されにくくする、逆に車高を上げて障害物の走破および水田の走破(日本の戦闘車両には必須要件なんですね)を容易にするという利点、さらには前かがみになって自分よりも低い位置の敵を射撃する、上向きになって斜方投射の実験をするというのがある。左かがみとか右屈みなどもできるようで、しかしこのへんはオモシロイけどコストがかさむ、ということで、90式ではオミットされている。
個人的に気になるのが、ハイドロ・ニューマチックの弱点のひとつである「ブートに時間がかかる」こと、つまりエンジンをかけてから油圧が上昇するまで車体が「お座り」したまま動けないことで、フランスやスペインの警察ではシトローエンBXがパトカーとして使われていてこれではいざ出動の際に車高が上がるまで待っていては遅いのではないかという危惧があるようだが、警察車両ならば泥棒に逃げられる程度で済むものの、日本の国防を担う戦闘車両が有事の際ハイドロが上がるのをじっと待たねばならないという事態は敗北主義に基づく非国民の仕様であり深い憂国の念を禁じ得ない、という赤いチラシが街中の電柱に張られてしまうのではないだろうか、という懸念がある。
さて、シトローエンがハッカーにいかなる癒しをもたらすかを例証していくこととしよう。
ハッカーはみな心の中に少年や少女を残している。興味の対象がいまだ幼い少女に残されているとか、帰宅して奥の間のカギを開けると少年が入っている、いや本稿が対象とするのはそういうことではなくて、ものに新鮮に驚き歓ぶたのしみ、センス・オブ・ワンダーである。
現実との戦いに疲れたら、シトローエンに乗って驚きと歓びを取り戻しましょう!
すでに説明した姿勢制御である。追試は容易である。実際にエンジンをかけ、たとえばボンネットやおしりに力をかけてみると、シトローエンはしばらく考えた後、もこもこと車体を上げて水平にしようとする。「へへーん。うっそっだよーん」と手を離すと、偽りの荷重にだまされたシトローエンはその分すこっと上がってしまい、しかしまたしばらくして、もへもへと、沈む。 この瞬間は、あなたとシトローエンとの二人だけの会話、流れる時間(とき)。ほかの誰も邪魔などしません。というか多分近寄ろうとは思いません。
さらに癒しの成分となるのが、基本的には(注2)これらの機能が純粋に油圧回路だけで実装されていることです。
もし電子回路とかマイコン、組み込みチップで実装されていたら、まぁそれは開発すればできるよな。でも結構フィードバック応答曲線は考えどこだよな。いろんな速度域にも対応したほうがいいだろうしな。チップは何使ってんのかな。んーでもあまり最新のじゃなくてファームも枯れてないとな。でも上物との関連もあるからファームだけ差し替えってわけにもいろいろいかんよな。この手の製品だと製造物責任も相当アレだし開発も結構つらそうだよなでも結構ベンダによっちゃ隠しちゃったりあぁクルマはリコール制度が割と整ってるからアレかでも納期とかきつそうだなというか直前の仕様変更とかんでもって納品直前に大幅カットとかふざけんなよなそんなに大量に一気に突っ込んできやがってそんなの対応できるわけないだろそもそも最近のクルマとかこの手のデバイスとかイランものくっつけすぎなんだよおかげでこっちは寝られず帰れず休出でサービスで残業はつかねえしというか上の連中が何にもわかってねえのが構造的問題なんだよゴルァ! という考えになり、ちっとも癒しにならないので注意しましょう。
ボンネットを開けましょう。そこでコンコン回っているのは油圧ポンプです。そこから高圧オイルが出てきて、油圧溜めのアキュムレータに入ります。緑の配管がありますよね。それです。一目瞭然です。目に見えない要素はありません。コンパイラやメモリやOSが腐ってたとかはありません。物理の法則それがthat's all, うそはないのです。学研の「科学と学習」に熱く心燃やした、あの子どもの日の遠い思い出が、ピュアな科学への憧憬が、あなたに今よみがえることでしょう。あなたは癒されたのです。
これも姿勢制御と同じです。これをひとひねりすると、ジャッキなしでタイヤ交換することができます。車高を最高にあげて、その「背伸び」した状態で、ジャッキポイントにウマをかまします。 さぁ、今度は車内の車高調整レバーを最低にしてみましょう。ウマがかかってないほうの車体はどんどん沈んで、ウマに支えられたほうもサスペンションが縮んで、いやしかし車体は支えられたまま、おお、車輪が地面を離れて、どんどん車体のなかに引っ込んでいきます! 「007私を愛したスパイ」の潜水艇に変身するロータル・エスプリというか、テレビの「サンダーバード」を見た子供のころの心を取り戻せる瞬間でもあります。
普通に街中を走っているときでも、手ごわい段差を越えるときなど、車高上げは便利に使えます。ですが、あまりにこれみよがしに「ふふふ、おいらこんなことできるんだぜ」と街中でへこへこさせるとシトロ厨房まるだしですので、気をつけましょう。
ちなみに、この夏、夏本の発売を記念して同時発売されるシトローエンC5では、ハイドロ・ニューマチックにさらに円熟の電子制御を加えたハイドラクティブIIIが搭載され、60km/h以下で悪路をつっ走ると車高が微妙にあがるとか、逆に高速走行ですすっと車高が下がるとか、メカオタクのDNAを直撃するフィーチャーが搭載されます。え? そりゃもちろん最新の電子制御が一番でしょ(わら
これの一番の難点は、高速で車高がすっと下がるその速度スレッショルドが
110km/h
に設定されていることで、日本国内では「フフフおれのは自動で車高が下がるんだぜ」と自慢しようとすると、道路交通法違反で逮捕する! 開けろ! だーれー? という事態に陥ってしまいます。ディーラーの営業のお兄さんも、ここの説明では微妙にせつない目になっていました。 そんなの気にしない、というあなたは、ぜひさっそく一台買って高速に乗り、
Subject: C5高速で下がりました!
としてfj.rec.autosに報告をポストし、どのようなフォローがくるか観察してみましょう。
最近のモデルはすっかりぬるくなってしまい、お前はトヨタか! 愛知県トヨタ市トヨタ町からやってきたのか! というぐらいに堕落してしまったシトローエン。かつては、
などの奇怪いや独自なUIがてんこ盛りであった。やはり面白いユーザインタフェースは使っていても面白いもの。enlightenmentをアツク設定して使ってたのに上司命令でtwmに変えさせられてたまらん、という向きは、ぜひ昔のシトローエンを買って、変態UIの海に溺れるべきである。
余談になるが、このへんの「一見さんお断り」性にハマっていくと、英国はTVRにいきつく。まず乗ろうとすると、ドアの開け方がわからない。窓のヘコミから指を突っ込むと隠されたボタンがあるとか、ドアミラーの根本の隠しスイッチを押すとドアが開くとか、変なアドベンチャーゲームのような世界である。
さらに困るのが「ドアを開けて出る方法がわからない」で、車に入れないのは「やぁ、入れないや、アハハ」で済むが、出られないのはもっと致命的な問題で、例えばシフトレバー前の灰皿の両脇にある小さなポッチを捻るとドアが開くとか、車からの出方を押えておかない限り、炎天下のパチンコ屋の駐車場ともなれば死をも招く事態が惹起される。
最近のドライビング系のゲームソフトはリアリティも感動的で、また車種もマニアックなものまで納められていて素晴らしいが、このあたりのツメがなっていない。PlayStationのGran Turismoシリーズには昔からTVRのクルマも入っていて実にシブイのだが、通りすがりのガキがTVR GriffithとかTuscanにさっと乗り込んで、終ったらすっと降りたりできる、こんなことは絶対におかしいし、許されるべきではない。TVR車の場合、スタートとメニューへの復帰は、ぜひとも
△□上上下○右×右
のようなキーバインドにしていただきたい。ガキや厨房やシッタカ野郎が、ソフマップ店頭のGT3Aで生意気にもTVRなぞを選んだ場合は
このクルマ、降りらんなくてセーブもできなくてリセットしかできなかったよー。えーん
と泣くのを見るまでは、枕を高くして寝ることができないのである。
前述したとおり、これらはエンジニアの良心が現実と戦って朽ちたその傷跡である。傷を背負ったまま生きていくのは辛いことだ。これらは、良心あるエンジニアリングが活かされる場と触れ合えば多少なりとも癒すことができる。
といったものは誰が見てもgood thingであるが、さらにエンジニアリングの野望の発露、
さらにはそれに無謀マーケティングがプラスされた
といったフィロソフィに出合えば、ついえた夢も、少しは癒されるのではないだろうか。
これらのことから感じられるのは、「エンジニアよ自由闊達、わんぱくであれ!」という丸大ハムな思想だ。これが災いして、トップモデルを開発するたび倒産しかけているが、まぁこういうメーカーが一軒ぐらいあったっていいじゃないか。目先のプロフィットに左右されてせつない日々を送るぼくらには、一種の希望でもあるんじゃないかな。
こうして、ハイドロ・ニューマチック車には、まるで生物における血管のごとく、あらゆるところに油圧配管が張りめぐされ、有機的な営みを行なう。メインポンプの油圧は、ステアリング(ハンドル)に、ブレーキに、サスペンションに、そして時にはヘッドライトの操行やギアボックスに導かれ、協調動作を行う。 急ブレーキを踏めば運動量保存の法則に従って自動車にはノーズダイブ(車体前部が沈み込む)が起きてしまうのだが、こうしてかかった前輪サスペンションへの圧力によってメイン油圧系への逆流が起こり、その油圧はブレーキ油圧回路に流れ込んでブレーキ制動力をさらに負やし、かつフィードバック制御によって前部を上昇させる圧力が加わって平衡状態に戻ろうとする。etc, etc.
この、単純な論理、単純な回路の組合せによって有機的な環境が構築される、これはlispの美学と一脈通ずるものがある。emacsは極めて強力なエディタ環境であることがその美点であるが、これがlisp interpreterの上に構築された壮大な伽藍であることも、ハッカーたちをそこにいざなうおおきな魅力ではないだろうか。 各種のポンプ-油圧回路-アクチュエータで構成されるハイドロ・シトローエンもこれと同じである。石畳のうえをまったりと通過する、あるいは高速道路の高速コーナーでたおやかな挙動を示すとき、その下で息づく油圧回路たちに筆者は恍惚としたものを感じる。シトローエンは、走るread-eval-printループなのである。
たしかにこういった複雑なメカニズムは、いざ故障に巻き込まれると大変な事態となる。しかし、こういったコストを乗り越えてさえ人をひきこむ魅力がそこにはある。あるいは、それをひとつひとつ乗り越えてこそ人は大きくなれるのだ。まさにunstable or die!である。
ほとんどのシトローエンは「遅い」。信号ダッシュなどでは置いていかれることがしばしばある。だがこれはもともとそういう味付けになっており、短期的に人を抜いた抜かないで勝負する車ではない。伝統の安楽なシートと、あらゆる「まったり」のリズムで、結局は目的地に早く着く。だいいち楽しい。そういう思想をねらっている。競争はしない、だけど勝つ。これも大きな癒しである。
近年の高性能車で「楽しく」なろうとすると、湾岸線ディズニーランド脇コーナーを300km/hで抜けたいとか、妙義の谷は深いぜ、プッシャアーというノリになってしまい、免許証が何枚あっても足りないし、地球環境にもよろしくない。そもそも、
あぶないよぉ。
アクセルペダルが軽いので、カンタンにスピードがでてこりゃ気持ちいいや! という車は実に多いのだが、これはまさに筆者が先に述べた「店頭でのウケだけはいいダメ製品」の典型である。
赤信号だろうが婆さんが道を渡っていようが俺は踏む!
というドキュソの方々はどうだか知らないが、通常は信号や他の車といった道路の状況を見つつ運転するものである。ここでアクセルが軽過ぎると、お青信号になった。発進! うーむ気持ち良く加速するね。おっとスピードが出過ぎたブレーキ踏むか。えっと前が開いたな加速、おっとまたスピードが出た減速、うーんおれはちょっとだけ加速したいんだよな、でもちょびーっとだけ踏みたいんだけど、すぐビュビュビューって走っちゃうんだよなぁ。あぁだんだん右足が疲れてきた… これでは疲れて当然であるし、あぶない。こういう車に限って、セールスマンを脇に乗せての試乗では、ほらお客さんこのクルマ加速イイでしょー? ツインカムでナントカでカントカですからねー。お決めいただけませんか? 今日契約書に印鑑いただければ課長に相談してハイオク満タンおつけしときますよー? なのである。
シトローエンのアクセルはちゃんと重い。(メルセデスよりは軽いが)。本当にスピードを出したい緊急時だけ、一生懸命踏めばいいのだ。急ぐんでしょ?
反面、ブレーキはかなりカツンと効く。昔はそもそもブレーキがペダルの形をしていなかったぐらいで、やんわりと表面を足でなでる風情で運転するものだった。 世のフンワリブレーキになれた足で踏むと、最初の赤信号で全員フロントグラスに頭をぶつける羽目になるが(話半分)、なれると絶対こっちがいい(だんだん説明が面倒くさくなってきたようだ)
なんでか知らないけれど、フランス車のイスはよくできているものが多い。中をあけるとただのバネとか、ひどい場合はゴムヒモが張ってあるだけ(2CV)だったりするのだが、いったい何がどうなってるんだよおいこの野郎というぐらい乗り心地がよい。
この節の主張は実にステレオタイプで恥ずかしいのだが、筆者がそれなりに生活を共にした車のなかでは、ドイツ車(BMW 320i,325i,320ic)は「貴君は私が指定する通りの姿勢で着座されたい。不正な着座姿勢は健康を損なうばかりかドライバビリティに害がある。その代わり貴君の疲労を最小限に止めることは私が保証する!」というノリであって、フランス車(Renault Super 5TS, Citroën Xantia SX)の「まぁマターリ行こうや」とは明らかに異なる。
その点、国産大メーカーのいわゆる「高級車」たちの、演歌が大音量でかかるキャバレーで病院待ち合わせ室の椅子に腰かけているような…という批判は典型君だし書いていてせつないのでやめておこう。ウインドウズの「メモ帳」や「ワード」を使っている人に「パソコンで文章書くなんて大変で疲れるじゃん」といわれても、「なるほど、そうだねぇ」と流しておくべきだ。彼だって、emacsをおぼえれば目が醒めて天国で暮らせるのかもしれないが、たぶん彼にemacsを紹介するのは、おそらくお節介以上のなにものでもないだろう。そういうことなのだ。
これについては前述した通りだが、でかい荷物を積んでも傾かない、積み下ろしが楽なのが利点。 さらに美点なのが、どのモデルも荷物がいっぱい入ることだ。一見4ドアセダンのように見えても実は5ドアハッチバックだったり、この手の「なんちゃって5ドア」はどうもフランスの特産物のようで、ほかにはあの悲惨な末路を辿ったダイハツ・アプローズぐらいしか思いつかない。とにかくこの国の車はいかにカッコが良かろうとも荷物がいっぱい入らないことには鼻にもかけられないようで、たとえそれが大統領専用リムジンであっても、ちゃんとリアハッチがあって引越しのタンスぐらい積める感じだったりする。 昔乗っていたRenault 5も、うっかりすると軽自動車ぐらい小さいくせに、下宿大学生の引越しぐらいならタンスも冷蔵庫もあらゆる一台で運搬できて驚いた覚えがある。 現在使っているXantiaも、iMac 1台, 21インチ CRT 2台, タワーPC 2台, NetCache 1台, etc.. ぐらいは一気に積み込んで秋葉原から帰還ぐらいは問題ない。
運搬というか中も広いのでらくちんです。中をなるたけ広く取って、車輪なんて邪魔なものは前後の端に小さいのを思いっきり寄せてつけているので、短足のダックスフントのように見えます。
ハイドロ・シトローエンは、車高を最大にあげると車高が最大にあがる(ぉぃ)。だけではなくて、サスペンションのストローク、屈伸機能がほぼゼロになる。言い替えれば、4輪が伸びきってパンパンになる。 これを利用して、内輪が路面から落ちて浮いてしまうほどのあぜ道のきついカーブのようなところを、車高最大でクリアするという隠し技がある。つまり、車輪が落ちそうなところも気にせず通過できるし、仮に落ちたとしても、車高をあげれば自分で車輪を上げて抜くことができるのだ。 以降本稿では、この脱輪からの脱出能力を脱輪フォールト・トレランス性(Datsurin Fault Tolerance, DFT)と定義する。
これは、特に脇に溝がある狭い道路でUターンする際には強みとなる。車輪が一つ脱輪しても容易にリカバーできるのだ。上記のような状況、さらに大事なお客様を送り迎えするような状況、特にLinux関係のセミナの講演者、ことに外国からのお客様を、ひいては名古屋大学構内で切り返しするような場合に、DFTの高さは極めて有効であろうと思われる。
昔のシトローエンのTVCFには、上記の特徴? を活かしたものがあった(「じゃあタイヤ屋さんありがとう! ではまた!」ブブブー「おーいお客さぁん! タイヤをまだひとつ付け忘れだよぉー」「やっだお父さん、これ三輪走行じゃないの」「こりゃいけない、まったく気づかなかった」「パパったらー」「あらあら」)。別に同社が三輪走行を推奨していたわけではない。
この伝説に基づいてDFTを追試すべく、以下の実験を行なった;
なお今回の追試は、近所の主婦のいぶかしげな視線と、「なにちてるの?」と近寄ってきた子供の安全をはかるため、あと暑かったので、これ以上の追試は断念した。さらなる試験に関してはまた稿を改めることとしたい。
上に「emacsを試してみれば?」と書いた。確かにemacsを試すのは、金銭コストだけ考えれば、理論的には無料である。しかし自動車を試すというのは、えらくコストがかかる。ここが問題だ。いまシトローエンの新車を購入しようとすると、ハイドロモデルであれは300万から400万は現金を用意しなければならない。そんな金は筆者も出ない。
ではどうすればよいかというと、中古を買えばよいのだ。幸か不幸か、シトローエンは「壊れやすいんだってねぇ」という悪印象が脈々と熟成されてきただけあって、中古価格は内容に比べてえらく安い。現行ハイドロモデルであるXantiaは、下は50万ぐらいからそこそこいける状態のものが手に入る。もちろんカーネルハッカー的スキルがあれば20万ぐらいのタマを仕入れて勝負してもいいし、それ以前のモデルであれば、その筋の間では、もはや現金すら使われず、おもにビール券などで売買が行なわれているようだ。
多少なりともサーバ運用というものを知っている向きならば、まったくの新品ハードディスクやマシンというものがあまり信用ならないことをご存じであると思う。エイジングや運用テストを経て、オトナの安定を実証した個体こそが、実運用に耐える個体なのだ。この点、中古車は最初のオーナによってランニングテスト、エイジングが施され、初期不良が洗いだされ、塩梅のよろしくない個体はふるいにかけられ、しかも値段はがつんと安くなっているという、ある意味理想的なサンプル群なのである。 我々はみな、シトローエンを新車で買って売ってくれる方々を一種の人柱と見て、地の塩としてレスペクト、感謝しなければならない。
また、実際問題、最近のシトローエンの品質は富みに向上しており、かつての親にも子にも見放されるようなunstable lifeに身を投じずとも楽しむことができるようになっている。1995年以降の、特に1998モデル以降のXantiaは、まるでトヨタ車のようなstableバージョンである。筆者もある意味拍子抜けしている部分がある。 ただ反面、その筋の集まりでは、「うーんボクstableだからなぁ…」という「ぬるさ」も否定できない。DS, GS, XM, BXといったunstable modelを元気満々でhackしている方々に囲まれると、まだbetaとかalphaなfsを相手にする、あるいはワインを舌の上で転がしつつカーネルのスケジューラのコードを味わう、または市場に出たてほやほやの新しいハードのブラックボックス・テストに挑むハッカーたちのなかで、「えーと僕ターボリナックスでサンバを入れてみました」という感じで居心地悪くニコニコしているような塩梅がないでもない。
クルマ、食い物、酒、音楽、釣り、登山、いずれもその道を知ってその道を歩きだせば、他では得られない喜びが得られるであろう。 しかし、その道を歩むことによるコスト、つまりかかる金銭、時間、取られる脳味噌もまた貴重である。 日々究極の美味を求めて街や市場をさまよい、かつ幻の酒を探して旅立つその前に家に届いた巨大なワインセラーの置場について家族と喧嘩し、はたまた限定連番付きレアなライブのブート CD にレコード屋とオークションを巡回し、翌日はまだ暗いうちに家を出て日本海で釣り糸を垂れつつカナダのブラックバスのポイントに思いを馳せ、帰り道は冬山の絶壁に命をかける、もちろんその往路ではシトローエンの油圧回路の不具合を気にしつつ、復路ではクルマにもぐりこんで修理を行う。 これでは、いかにメタ出社環境であろうと、金と命が続かない。すべてを追い求める者には、破綻が待つのみである。
しかし、ハッカーの本質のひとつ「マニアさ」の不足を最近そこはかとなく感じる向き。あるいは「オトナ」「スーツ」の論理に埋もれ溶け込みつつも納得のいかない何かを心に抱き毎日を送る方。自分がそうだ、と思われるなら、このダメメーカーのキーを手にしてみるのもよいだろう。またひとつ、おもしろい喜びに出会えるかもしれない。
$Id: hgc.html,v 1.6 2006-03-25 14:07:13 morimoto Exp $